女王の警告
好きなひとがいるのね、と言われて顔を上げる。美しくて華やかなその笑みが自分に向けられていることに気づいた伏木蔵は、思わず「え」と声を出した。
「……僕、ですか?」
「そうよ、心当たりがあるでしょう?」
「好きなひと、」
「ええ」
ふ、と口の端が上がる。
細めた目の奥に捉えられて、息を呑んだ。
目の前で微笑む美女は、山本シナ先生という、くノ一教室の担当教師である。くノ一教室も同じ敷地内にあることから、先生はたびたびこちらの校舎にも顔を出す。とはいえ、こうして話しかけられる機会はほとんどなく、まだ低学年の伏木蔵にとって、ふたりきりで話をするのは初めてだった。
──好きなひとがいるのね、
先生のその言葉を、頭の中で反芻する。
どう答えればいいのか、
どうしてわかってしまったのか、
そんなことがぐるぐると頭の中をまわって、伏木蔵は口を閉じていることしかできず、そんな姿をじっと見つめていた先生は「かわいいわね」と言って、伏木蔵の頭を撫でた。くすぐったさと恥ずかしさに思わず唸り声をあげる。一年生のころならまだわかるけれど、それから二年が経ち、かわいいなんて言われることはすっかりなくなっていたからである。
「伏木蔵くん」
「は、はい……」
「相手が難しいひとであっても、諦めないことが肝心よ」
「え、」
「わかった?」
「…………はい、」
思わず頷けば、するりと優しく触れた手が、ゆっくりと離れた。
そうして、
「あら、噂をすれば」
その視線が、伏木蔵の背後へ向けられた。
「昆奈門さん、」
こちらに近づいてくるくせ者は、待ち合わせの相手である伏木蔵に手のひらを見せてから、先生に向かって軽く会釈をして、「ご無沙汰しております」と恭しく挨拶を重ねた。
そんな雑渡を見上げていた先生は、いたずらを思いついた少女のように、ふふ、と小さく笑って、雑渡の腕に指を添えながら背伸びをした。
雑渡の耳元に先生の顔が近づいて、
「……………、」
何かを、囁く。
その瞬間、
(……あ、)
空気が、ぴん、と張ったのがわかった。
それはまるで、ふたりの周りの空気だけがぴたりと止まっているような、
そんな心持ちであった。
「……滅相もないです」
先生の言葉にそう答えた雑渡は目をゆっくりと閉じて、もう一度、頭を下げる。その直後、先生の姿はその場からこつ然と消えて、秋の風がその名残のようにひゅうと吹いた。
「行ってしまわれましたね」
「……ああ」
「あの……、昆奈門さん」
「ん?」
「いま、何をお話されていたんですか?」
「うーん……、秘密」
「ええ〜? 昆奈門さんは、秘密ばっかりです」
「伏木蔵こそ、私が来る前に何を話していたの?」
「え、」
「言える?」
「……言えません」
「なら、お相子だ」
雑渡の手が、伏木蔵の背中に添えられる。
大きな手のぬくもりがじんわりと伝わって、伏木蔵は自分の胸が大きく鳴ったのを自覚する。
好きなひと、
なんて。
伏木蔵は感情を押さえ込むように若草色の胸もとをぎゅうとつかんだ。
ふたりで出かける約束は夕暮れまで。胸の鼓動は、おさまりそうにない。
(女王の警告のおはなし)
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