鬼の恋
怪我をしたとき、ひどく疲れているとき、何かに温めてもらいたいとき。
そんなときに、頭の中に思い浮かぶ場所ができたのは、数年前。戦は止まず、名を知っている人間が姿を消し、顔を見なくなることも多くある。顔を知られ、存在を知られている以上、いつだって自由はそこにないが、それでいて不自由ではない。そういう生き方に慣れている。
非情だ、という自覚はある。
「雑渡昆奈門さん、こんにちはぁ」
それでも、まだ、人間だ、と。
「……こんにちは、伏木蔵くん」
この小さな命に触れるたびに、思う。
「ん〜?」
「……どうしたの、」
「煙の匂いがします」
「ああ……、いつものことだよ」
「え〜? いつもはしませんよ」
いつもは、昆奈門さんの匂いだけ、
そう続けた伏木蔵は、すんすん、と鼻を鳴らして雑渡の胸元に顔を寄せた。そのままその頭に手のひらを置くと、「んふふ、」と機嫌の良さそうな声とともに、その重みが雑渡の身体の半分を覆う。
こんなふうに、抱き寄せて、抱きしめられる。そんな関係は、伏木蔵が四年生に上がってからだった。恋だとか、愛だとか、そんなものではない、と雑渡は思っている。奥底に触れたい、暴きたいと思うことはない。そうだとしても、数年前の保健委員会委員長や、伏木蔵の同学年の生徒たちにこんなところを見られたら、怒られてしまうだろうか、とも。
「心配しなくても、まだ三反田数馬先輩は来ませんよ」
「ああ……、そう、今年からあの子が委員長か」
「そうです〜」
「怒られるかな」
「数馬先輩より、乱太郎のほうが怖いかもです」
「ふふ、確かに」
ぎゅう、と腕の力が強まる。
それが、最後。
すっと顔を離した伏木蔵は、「匂いが移ったかもしれません」と言って、小さく笑った。
「煙の匂いが?」
「え? ああ……、いえ、……僕の匂いが」
膝を払いながら伏木蔵は立ち上がる。
見送ります、と言いながら開けた戸の向こうには、夕暮れの空。
怪我をしたとき、
ひどく疲れているとき、
何かに温めてもらいたいとき。
「また来てください」
微笑む少年の頭を撫でる。
そうして、
──ああ、まだ、人間でいられる、
そう思うのだった。
(鬼の恋のおはなし)
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