KIKI

一日の終わりに

 機嫌が悪い。
 帰ってきたなりこちらの膝にもたれてきたかと思うと、「疲れましたぁ」と甘えた声を出す。
 雑渡は、まだ残していた仕事を片付けるために筆を握りながら、空いている左の手でその男の前髪から額にかけてゆっくりと撫でてやる。すると、まるで猫のように目をぎゅうっと瞑って、さっきまで寄っていた眉間をゆるやかに戻した。
「伏木蔵」
「はぁい」
「ちょっと待てる?」
「うーん……、割と限界です」
「そんなにきつい忍務だった?」
「いいえ、とっても楽ちんでしたよぉ、どこぞの女のふりをして話を聞くだけですから」
 伏木蔵が今日まで担っていた忍務は、ここから少し離れたとある城への潜入だったはずだ、と思い出す。タソガレドキの敵にもなり得ない城ではあるが、どこの国に関しても定期的にそのときの情勢を探っておくことが必要で、それを任命されたのが黒鷲隊に所属する伏木蔵だったらしい。物見や潜入を得意とするその男にとっては、それはそれは楽な仕事だったはずである。
「じゃあどうして」
「だって、ずうっと自慢話ばっかり聞かされて」

 自分の権威がどうとか、
 何人女を抱いたとか、
 どこの城を落としただとか、

「ふふ、くだらないね」
「はい……、もうつまんなくてつまんなくて……。早く昆奈門さんのところに帰りたい〜って、そればっかりでした」
 伏木蔵はそう言って、雑渡の太腿に頬を擦り寄せる。
「だから、何かお話してください」
「私でおまえの話相手が務まるかな」
「むしろ、昆奈門さんじゃないと務まりません」
「それは光栄だ」
 駄々をこねるようにして身体を寄せるその子どもをいなすように笑って、雑渡は最後の一文字を書きこんだ筆を硯の上に置いた。そして、空いた手をその子に預けてやる。
 伏木蔵はそれだけで少しは満足したのか、うれしそうに今度はそこに頬を寄せた。

 ──ああ、やっぱり猫のようだな、
 雑渡は手のひらに伝わってくる熱を感じながら、「そういえばこの前ね、」と少し前についた忍務について話し出す。そんな雑渡に向けて、伏木蔵はきらきらと、出会ったときと変わらない子どものような視線を向けた。
 いつか、命が果てるまで、
 この子にとっての、いっとうスリルで在れるといい。
 雑渡はその焦げ茶の髪の毛を優しく撫でながら、そんなことを思う。




(一日の終わりに、のおはなし)