子どもたちの戯れ
夜。
覆いかぶさってきたのは向こうからだった。
薄く色づきのいい唇の端を上げてわずかに微笑んだその男は、「今日くらいしかできませんよ」と言って、その手のひらを尊奈門の胸に当てた。そうして、「どくどくいってます〜」と楽しそうに笑う。
「ばかじゃないのか、おまえ」
「え〜? いいじゃないですか、日ごろの成果をお互いに見せる、くらいの理由で」
「なんの成果だ……」
「わかってるくせに」
「嫌だ。殺される」
「誰に? 高坂さん?」
「組頭に決まってるだろうが」
「昆奈門さんはこんなことじゃ怒らない気がしますけど……、あと、高坂さんも怒りません、絶対に」
しゅる、と尊奈門の寝間着の紐を解きながら伏木蔵は言った。
さっきからこの男はやたらと手際がよくて腹が立つ。こういうことに手慣れているのをありありと見せつけられて、尊奈門は思わずため息をついた。
鶴町伏木蔵という男は、確かに見目だけでいえば、尊奈門よりもずっとそういう忍務が多いはずである。ただ、それをこんなところで発揮しなくてもいいものを、その男はなぜか楽しそうに尊奈門の胸もとをまさぐっている。
「おい」
「なんですか?」
「待てって」
「ちょっと黙ってもらっていいですか?」
「できんぞ、おまえとは」
「なんで?」
「勃たない」
「うーん……、じゃあ、ちょっと頑張らせてください」
伏木蔵はその顔を尊奈門の首すじに近づけて、すう、と息を吸った。
そして、
「……尊奈門さんのにおい」
そう呟くように言ったあと、少しずつ口づけを落としていく。
首すじ、
こめかみ、
鎖骨、
「う……」
吸われて、ぴり、と痛んで、
「はあ〜………」
深い溜め息が落ちる。
尊奈門と伏木蔵が所属するタソガレドキ忍軍では、組頭の雑渡昆奈門と伏木蔵がそういう仲であることは周知の事実であった。特に雑渡の近くに常に控えている側近のうちのひとりである尊奈門は、そのふたりの様子をずっと近くで見てきた人間でもある。好きだの嫌いだの、そういう俗な関係でもない、不思議な空気がこのふたりの間には流れていて、身体の関係を持っているということを悟ったときには、なんだか妙に納得してしまったものである。
今から数年前、雑渡が苦しみ抜いた三年間と、そのあとの見違えるような復活を、間近で見てきた。周囲の誰をも慈しむやわらかな感情を持ちながらも、冷徹な一面を隠そうともしない、いつだってそんなふうに両極を行き来する雑渡昆奈門という存在は、尊奈門にとっては、死ぬときまでずっと——、否、もしこの命が尽きたとしても、自分にとって最も大きな存在であり続けるという、確信さえある。
「尊奈門さん、」
そして、そんな雑渡がそばに置くたったひとりきりの相手が、この、鶴町伏木蔵なのである。
(だというのに、この男は……)
考えれば考えるほど腹が立ってきて、尊奈門は伏木蔵の腕をつかんで、ぐるり、と体勢を変えた。
「うわ、」
褥の上に、伏木蔵の身体を押し付ける。
その顔を見下ろせば、組み敷かれた伏木蔵は「ふふ」と薄く微笑んだ。
それは、普段は見せない、妖艶な、笑みである。
「やる気になりましたか?」
「……なってない」
「え〜?」
くすくすと笑うその唇を塞ぐように手のひらで押さえた。
ぐ、と押し付けながら手の甲ごしに唇を当てると、その男と出会ってから今までのなかで一番近い距離で視線が重なった。
「……直接していいのに」
「うるさい」
いつの間にか、さっきまで伏木蔵が触れていた胸もとがじわじわと熱くなっているのがわかる。
そうして、その熱はゆっくりと全身に広がって、腰のあたりにまで重たくのしかかってきていた。
尊奈門は小さく舌打ちをする。それから、伏木蔵の口を覆っていた手のひらを離して、今度はその唇に、直接触れた。
「ん、」
初めて触れた伏木蔵の唇は驚くほどやわらかく、しっとりと湿っていた。
そういえばこのあいだ色街の女にされた口吸いはどうだっただろうか、と思い出してみるけれど、こっちのほうが随分と心地良く感じられるので、なんだか悔しい。
「っん、…ぅ」
その薄い唇を濡らすように何度も食む。
くふ、とうれしそうに笑うその男の腕が、尊奈門の首にまわされた。
思惑通り、といったところか。
(もう、どうでもいいな……)
口づけを重ねながらその身体に触れる。
すり、と撫でれば、伏木蔵の薄い身体が小さく反応した。
「ふしきぞう」
太腿の裏に手をかけて持ち上げながら、もう一度名を呼んだ。
息が熱い。
ああ、このままじゃあ、
本当にこの男としてしまう。
尊奈門は手のひらに絡みつくほどしっとりと濡れている伏木蔵の肌を撫でながら、半ば諦めるように口吸いを続けた。
そのすぐ後だった。
外の月明かりがわずかに部屋の中に、すう、と差し込んだのである。
尊奈門はそれに気づいてふと顔を上げた。
見れば、部屋の戸がいつの間にか開いていて、そこに誰かがいるようだった。
「え」
目の前に落ちたのは、大きな人影。
その姿を認めた瞬間、尊奈門は思わず息を呑んだ。
今日は帰らぬはずの雑渡昆奈門が、そこにいたからである。
「く、くみ」
ぞわ、と身体中が震え上がるような感覚。
血の気が引く、とは、きっと、こういうときのことを言う。
「え〜? せっかくいいところだったのに」
伏木蔵が不満げな声を出す。
「ん、いいよ、続けて」
雑渡はゆっくりとしゃがみこんで、伏木蔵を組み敷いている尊奈門に顔を近づけた。
その楽しそうな表情に、目眩。
目の前が、ぐらり、と揺れる。
ああ、まずい、
これは、本当に、
ぐらぐらと揺れる思考を振り切るように、尊奈門は持ち上げていた伏木蔵の脚から手を離した。
「待ってください組頭」
「んー?」
「違うんです、ぜんぶこいつが」
「えー、僕のせいにする」
「おまえのせいだろうが!」
「だんだん乗り気になってきてたくせに」
「だからそれは、おまえが」
「ほぇ〜」
それからしばらく言い合いが続いたけれど、雑渡はその様子をじいっと見つめたまま、「ほんっとおまえたちおもしろいね」と目を細めて笑うだけだった。
えーやめちゃうんですか、と残念そうに言った伏木蔵の頭をげんこつで殴る。乱れていた寝間着を整えながら、「おまえ本当にこういうのやめろ」と吐き捨てるように言えば、「楽しかったですねぇ」と笑うので、今度は手のひらでその頭を思い切り叩いてやった。
どこかで聞きつけた高坂が「今度は私も誘え」と言ってきたのはその次の日のこと。しばらくしてそれは現実になるのだが、それはまた、別の話である。
(子どもたちの戯れのおはなし)
Tweet